宗教、ではない

北斗とアイナジエンドが共演することになった。

SixTONESとBiSHの掛け持ちオタクは革命が起きたかのように…嬉しそう。音楽を扱う映画らしい。二人の共演にビリビリとした何かが走っていたそうで(本人談)

……正直、羨ましい 羨ましすぎる

つい先日わたしはSEKAI NO OWARIのファンを卒業した。卒業とか潔いもんじゃないな。昇天って感じ。未練とかあるけど、逝くしかないみたいな。ここで区切ろう、と思ったのは、SixTONESHiHi JetsがHabitで直接的、間接的にコラボしたからで。まさかジャニーズにいてセカオワの曲を披露するなんて思ってもみなかった。ありえないと思ってた。でも京本さんが深瀬くんの隣にいて、猪狩くんが深瀬くんが書いた詞を歌っていて、ああ、もう、これ以上双方に望むことってないなと思った。叶わぬ夢だと思っていたものが、皮肉なことに"ダンスコラボ"というかたちで現実になった。でも、素直に喜んだ。24時間テレビは深夜だったけどちゃんとリアタイして5人の勇姿を見届けた。紅白なんか、家族の前だったけど構わず号泣した。

実はその半年の間にセカオワのドームツアーに足を運んでいた。「今日が終わったら、もうFCを抜けてキッパリしよう」とふんわり考えながら参戦した。だけど、結局ズルズルと年明けまでFCを抜けられなかった。なぜなら、あまりにもコンセプトが素晴らしくて。"100年後に淘汰される遊園地"がコンセプトの今回のツアー、意外なことに彼らは遊園地を作り上げたことはなかった。街とか、洋館とか、巨大樹とか、宇宙旅行とか、そんな規模の世界は作り上げていたのに遊園地は今回が初めてだった。そして、コロナの影響で数年越しに叶った初のドームツアーということでお祝いモードである。タルカスぶりにトロッコに乗ってアイドルのように手を振るメンバーがかわいらしすぎて、小中学生ながらにメンバーのことを「かわいい」とか言ってたガキの時代を思い出した。

詳しいコンセプトについては調べてもらえればすぐ出てくると思う。環境問題、LGBTQ、SNS社会など現代問題に向き合った内容だった。

 


結局わたしはHabitの何が嫌だったんだろうって、未だに考える。音楽性や言ってることは昔となんら変わらない。少し直接的になった。それはそれで嫌だった。わたしは昔からファンタジーな世界観が好きで、小学四年生のクリスマスには「魔女になりたい」と言って箒をもらったことがある。ソファから飛ぶ練習をし始めたわたしを見て、親曰く、三日坊主なわたしのことなのでなんら心配しなかったそうだけど、わたしは本当に飛べるかもしれないと思っていた。海とか、森とか、銀河とか、私たちが知ることのできないそれらの奥底には夢がある。そんな世界を、曲を、セカオワは書いてくれる。形にしてくれる。彼らはわたしにとって初めての理解者で、表現者だった。初めて炎と森のカーニバルを聴いたときは、11歳くらいだったかな、人生で初めてあんな衝撃を受けた。イントロ、歌詞、MV、全てが夢のようで、どれだけワクワクしたことか。やっぱりわたしはセカオワが作り上げる「ファンタジー」を愛していて、それはこれからも変わらない。鬱憤ばらしのような、叫びのような、そして皮肉を言っても讃えられるようなわざとらしい直接的な言い回しはいらない。

彼らは一時期、ファンタジーからの脱却を目指そうとしていた時期があった。というか、それをよく言葉に出していた。今は全くインタビューを追っていないからわからない。だけど「今ここでこういう曲を出さないと、一生ファンタジーをやり続けることになると思った」と言ってリリースしたANTI-HEROでは、わたしは篩にかけられなかった。むしろあのダークな世界観をいち早く堪能するために(主題歌として初解禁だったため)、劇場まで聴きに行ったくらいだ。しかし、今思えば当時はわたしにとって宗教のようだったんだと思う。否定とか疑問とか全くなくて、彼らから生み出されるもの全てに好きと言う。すべてが正しい。

だけど最近の曲を聴き始めて、信仰から脱したと確信した。受験期、あまり追えなくなっていた時期に出されたイルミネーションやsilent。話題のドラマや映画の主題歌になったりして、ニュースや音楽番組で取り上げられる回数が増えていた。気づけば"バズ"ソング特集とかに組まれていて、彼らの世界観や発信したい言葉、今までの素晴らしい活動歴がとっても浅くなってしまったように感じた。彼らが作り上げてきた歴史をどれだけ知った人間がこの曲を聴いてるんだろう。生々しい話だが「売れる」ことって大事だと思う。売れなきゃ曲は出せないし、大きなセットも作れないし、何より彼らの将来を握るは「売上」だから。知るべき人に届くきっかけになったかもしれないけど、それには大きな代償も付いてくるわけで。オタクのTwitterを覗くと 「○○推し」とかのアイドル文化が持ち込まれていて、タグを見れば○年前からファンやってます!と新規マウント大会が繰り広げられていた。「最近治安悪いですよね、、」などといった他人事リプライ。居心地が悪すぎる。推しとか言ってる人は10年前からいたけど、違う、そんなんじゃないんだよね。文化の流入でしかないと言い切れるSNSの動きがあった。

そしてSEKAI NO OWARIは、私がそんな世界でぐずぐずしてる間に皮肉な曲を投げ込んできた。Habitだ。曲調とか、すごく懐かしい気がする。最近のタイアップのために作られていた曲とは一風変わって、(これもタイアップだけど)彼らがデビュー当時から言い続けていることを直接的に言いなおしたような歌詞だった。でも、なんかハマらなかったのってそこだ。寄り添うとかとはまた違うんだけど、こう、彼らがいる世界の幕を勝手にくぐっても怒られないし寧ろ放っておいてくれる。時に手招きをして新しい世界を見せてくれる。そんな優しさが好きだった。だけどこの曲でわたしはものすごく怒られたような感覚に陥った。「説教するのってぶっちゃけ快楽」と分かっててやってますよ感を出された気がした。そんな回りくどいことする人だったっけ。本当に伝えたい人達には伝わってない歌詞があまりにも虚無すぎる。

Habitの歌詞は「コロナで熱が出ていて、イライラしながら書き上げた」と言っていた。確かに、今までファンがバカデカ感情を抱いたものに対して彼らは、いやそんなたいそうなもんじゃないよ。と平然とした顔で言う人たちだった。そうだね、今回のHabitも「世間に物申してやる!」って意気込んだわけでは無いんだ、きっとね。炎上を恐れていたと言っていたけど、これが炎上しなかった。その事実が、バンドの本質になったんだ。神だと思っていた存在があまりにもリアルになってしまった。自分の都合が悪くなって逃げるわたしの勝手で、もはや信者ですらなかったのかもしれない。今こそ世界平和の歌を歌ってよ。争いごとを前に綺麗事を言う大人に唾を吐くような、そんな事を歌って大人に頭をはたかれたかと思えば、泣きそうになるメロディ命の尊さについて書き、悲壮感と罪悪感と、使命感を植え付けてくるような歌を歌ってよ。こんな勝手な願望はもうどこにもぶつけることは許されなくて、過去の亡霊になってしまった。

ここに書いたからと言ってすっきりしたわけでも答えが出たわけでもないけど、今の感情を文字に起こして書き連ねることができて驚いている。昔の曲は今でも聴いている、やっぱり好きだから。

こんなにバズに嫌悪感をしめしたお気持ち表明、気持ち悪くてしょうがないね。散文ですが、ここまで読んでくれてありがとうございました。